自己治癒力快復道場で修行しているノンです
私は人と話すのが好きです。
自分の話をするのも好きですし、相手のことを知るのも好きです。
わりと誰とでも話ができます。
なので人が集まる空間にいるのは楽しいです。
ただディズニーランドなど、乗り物での
長ーい行列に並ぶのは苦手です。(並ばないタイプ)
けれど、その人の、その行為が目についたり、ざわついたりすることがあるんです。
多様性と最近よく言われていて、
個性があるのは当たり前、みんな違って当たり前だとはいうものの、
私には好き嫌いがはっきりしている部分があって、
価値観が異なる人の振る舞いを受け入れようとするとき、やはり胸が痛む感覚があるんです。
でもそれだと、生きづらいですよね。
好みとかではなく、
「これはしてはいけないこと」のような、
自分にどんな頑なな決め事があるのでしょうか。
そんな自分に触れていった時に、
認め、許し、ゆるゆる生きたいと感じました。
でも、許しているはずなのに、まだザワザワとする・・・
ではその「ゆるす」って、何でしょう。
「ゆるす」は、幾つもありました。その中の2つを抜粋すると、
・赦す:罪を認めない、義務を免除する
・許す:認める、相手の要求を「不都合ではない」と許可すること
私はどうだったのかというと、
許し(認める)てはいたものの、赦して(過ちを責めない)いなかったんです。
許せない人を赦すことは
赦せないと決めている自分を許すこと
そんな繰り返しで、自分の頑なだった決め事も
握りしめておく必要がなくなり、
手放せるようになっていく。
そして、この「ゆるす」には、
他の意味がありました。
・赦す:「緩ます」・・緊張をとく、態度を緩和する
・許す:「気を許す」・・警戒を緩めて打ち解ける
これはカラダとも連動していると思います。
何度考えても、響かない私のために、
外側の状態を変えていくところからはじめるのが近道。
頑なな自分を手放して、
ただただ心穏やかに、その起きている事実を
受け止める。
相手のことを気にしたり、自分を責めたり、
そんな必要は無くなりますね。
「どうであってもいい」生き方をしていきたいと思います。
赦し、許していくことで、カラダも緩んでいく
カラダを緩めることで、物事を赦し、許していくことができる。
こころもカラダもととのえていきましょう♪